December 21, 2011

今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「絵画展になんで絵を見に行くかわからない」と言われました。

曰く、「写真で見たって、ネットで見たって一緒じゃないか。ましてや、それを高い金出して買うなんて、本当にわからない。その辺、絵画好きな人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。

別に絵画大好きということもないし、絵画を購入したこともない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。

「絵画には筆致(タッチ)というものがある。長い時間をかけて画家が描き、またそれ以上に長い時間をかけて今に伝わる絵画はまさに生き物。写真では、その生きザマがよく見えない。絵画を見るなら写真で充分だが、絵画を感じようと思えばやはり生で鑑賞したい。それと絵画は時の経過と共に価値の下がらない稀な投資物件でもある。所有するステータスと共にノブレスオブリージュの意識の高い欧米では、富裕層が絵画を所有し守ることが文化財保護の仕組みにもなっている」というような説明をしました。

一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。

「見ることと満足を感じることは手段と結果で同じ線上だ。絵を見て満足するなら、それがコピーでもいいはずだ。投資というならもっといい投資がある。文化財保護っていうが、結局は物欲の結果であって奇麗事だ。やっぱり絵画の現物をありがたがる気持ちがわからない。言葉は悪いがスノップの言い訳としか思えない」と食い下がります。

私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。

「現実に本物を見ればわかるが、現物と写真とではまったく色の深みが違う。理屈にはしにくいが、存在感と言ってもいい。投資というのは目利きが大切だから、絵が好きな人が絵画を投資の対象にするのは極めて安全な選択でもある。金の使い道を持て余す富裕層の所有欲を利用することで文化財が保護できるシステムは実利的だ。それがどのような動機であれ、現実に絵画は人々にありがたがられる存在に違いない」と説明しつつ、だんだん私が絵画愛好家の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。

結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたが絵画の価値に納得していなくとも、絵画に価値があることに変わりがない。あなたがわからない価値だからといって、価値がないわけではない。ただ、あなたが価値を見つけられないだけかもしれない。だから、わからないと思う価値に出会ったら、人に聞く前になにがいいのか価値を探してみたらいいと思う。あなたがわからない価値であっても、他の人には大切なものかもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。

相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の価値に、絶対的な価値があるとは言えない。誰かの価値観を踏みつけにしているつもりはない。ただ私は私にわからないものが存在したままなのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。

こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」 それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。

結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。「教えてくれ」と言いながら、すでに「んなもん気が知れんわ」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。

それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。

相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。

そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。

具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。

「いい大人が、アニメやゲームやフィギュアになぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったオタク叩きの記事を見るにつけ、私は思います。

 

「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」

 

 

December 13, 2011

「いくら、その才能があっても褒めてもらえることはないと思う。むしろ、失敗したときとかの批判や、『親の七光りだ』とか言われることのほうが、すごい多いと思う」

「でも、自己責任の年齢だったら、もう周りも『止めろ』とか言えないじゃないですか。早くデビューできるっていうメリットもあるけど、俺みたいなのに悪く言われるってデメリットもある。そうしたことを含めた上で、その人の環境だから」

「子供でしか、出来ないこと、面白いこととかもある。それをすっ飛ばしてきたら、トーク番組に出演したりして、トーク力が足らない、とかそういう話になってしまう。それに子供の頃から、オトナに混じって(オトナぶって)必要以上に頑張っている子は、可哀想」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「周りのオトナは何をしているの?『イチローの姪だ』『モデルだ』と持ち上げて…今、やらなくてもいいじゃん。今やらなければならない逸材でもないじゃん。イチローを発掘した、土井監督だったら、どうするか、考えればいい。一度、二軍に入れてみろ、というのが正しい判断じゃないか」

「俺は、クソ野郎で結構ですよ。小6の女の子に、こうした小6の女の子が聴いていないような時間帯にこんなことを言っているわけですから。でもね、その女の子を引きずり出すオトナの方が、よっぽどクソ野郎じゃないですか」

December 2, 2011

Q 12
 アイテム課金のビジネスについて。ソフトメーカーの中にはアイテム課金のビジネスにリソースをシフトしている会社も出てきており、ソフトメーカーにとって課金を自由にできるプラットフォームの魅力が高まっていると思うが、それに対してどう考えているか。

A 12
岩田:アイテム課金そのものを、私は全然否定しておりません。以前に私が申し上げたことがあるのは、「ゲームを無料で始めていいですよ、というやり方でアイテム課金をするというビジネス構造は、私たちがやろうとしているゲームビジネスと価値のアピールの仕方が全く違いますので、その枠組みでは自分たちのコンテンツの持つプレミアムな価値というものが傷つくのではないか」ということです。

・・・

「ソフト作り手としての任天堂はどう考えているのか」についてですが、これについては一度、良いチャンスなので、お話ししておこうと思います。一般的には、「任天堂はアイテム課金に否定的である」、すなわち「任天堂は追加コンテンツやアイテム課金でお金をとるということには全く興味を持っていないのだ」と認識されているかもしれません。このことは、宮本ともずいぶん話をしていることなのですが、例えば「何かのゲームを全部遊び終わったが、もっと遊びたいので、追加ステージがあったらいいな」ということがあった時に、私たちが追加ステージの制作にしかるべき労力を注ぎ込んで、それを後から配信することでそのゲームの寿命が延びたり、話題が増えたり、売上が伸びたりするとしましょう。そうしたら、「そういうものをお客様と折り合いのつく価格で追加コンテンツとして買っていただいても良いのではないか」という話をしています。例えば、将来、任天堂の何かのゲームの追加ステージとして、「これを遊ぶためにはあといくら払っていただけませんか」ということはあって良いのではないかということです。一方で、「これは私たち任天堂がどうしたいのか、という考えであって、世の中の他の会社さんが正しいとか間違っているとかいうことを言いたいのではありません」という意味でぜひ誤解なく聞いていただきたいのですが、私たちの価値観では、「数字のパラメーターだけを触って、何かの鍵を開けるとか、何かがものすごく有利になるとかという形で課金する」ということは、クリエイティブの労力に対する対価ではない全然別の構造なので、それを追求すると確かに短期的に収益は上がるのかもしれないのですが、お客様と私たちの間での長期的な関係はつくれないのではないかというふうに思っていまして、こういう形での課金は、私たちのコンテンツに対してはすべきではないと、いうことも同時に話しています。

November 29, 2011
どんな身分の人間でも意見を言っていいんだぜ? そしてその意見は内容によってのみ批判されるべきなんだぜ?
November 24, 2011

日常生活で言うと、多くのサービスが
・同時並行に複数のお客さんにサービスしている。

・モノの使い回し
だったりするわけで、回転率とか来客数でかけ算が成立するから、単価を下げられるわけだけど、一品一様のソフトウエアやWebページ構築は、お給料が月30万円の人を一ヶ月拘束するのなら、30万円で買えるわけはないでしょ、という単純な話。

でも前述の通り、ほかの量産型サービスに慣れちゃってるから、高いなぁと思うのは仕方ないわけですね。

・・・じゃあ、プロから何を買うのか?というと、定められた時間の中で、責任もって良いものを仕上げますよ!というのにお金を支払っているというのが大事なんじゃないかと。

HTML+CSSって、もはや紙とエンピツに近い存在ではないかと思っていて、まじめに学べば、誰でも多少はかけるんだけど、じゃぁ絵描きさんみたいなクオリティのデザインや成果物、プロであれば再利用可能なコードの構成って、無知な人がそこにたどり着くのにどれぐらい時間がかかったっけ?と言うのは間違いなくあって、「誰がやるか」というよりは「誰にお任せするのか?」という選択の話になると思うんですね。

November 21, 2011

よゐこの有野からもメール。

攻撃する目的で人の名前を電波にのせる事への覚悟があったのかと山里に問いかける内容。電波にのせた時点でそこに尾ひれがついたり、誇張されて表現が変わり本人に伝わる可能性はある。そして尾ひれをつけたり誇張した人を責めるのはお門違い。全ては攻撃した本人からスタートしていることであると。その覚悟があっての行為なら何も思わない、しかし覚悟がなかったのであれば相手に対して失礼なだけ、山里がきちんと相手に謝罪すべきである。

・・・

そして、今回の騒動が起こる前から山ちゃんに苦言を呈してきた男、加藤浩次。朝スッキリ!で会ったときにお叱りを受ける。

『バカヤローおめぇ、言ったろ前から、なぁ?テメーで悪口言うんだったらテメーでケツ拭けるようにならなきゃダメだし、相手と刺し違える覚悟もないのに言うなと。前から言ってる通り、自分で人の悪口を言ってぇ、それを面白くできてないんだったらぁ、それはもう自分の行動範囲を狭めるだけだと。言ってたのにお前、それやってんだろう。それはお前が悪いよ。誰にどう聞いても10-0でお前が悪いよ。まあな、山ちゃん、行って、殴られて来い』

ヨイ★ナガメ:雑感【山里亮太の不毛な議論(サプライズゲスト:品川祐)】 - livedoor Blog(ブログ)

問題になった回もこの回もリアルタイム(+録音)で聞いた。山里が冗談で言っていたことは明白だったけれど、あの書き起こしを見たとき、山里のラジオの雰囲気を知らない人があの文字情報だけの書き起こしを読んだら文面どうりに受け取っちゃうかもなあと思ったし、その意味であの書き起こしは品川に対して悪意があるなと自分も感じた。あのサイトは見る人を選ぶというか、決して発言を捏造しているわけではなく演者の言ったことをそのまま書き起こしていて一見客観的と思えるスタンスを取っているものの、番組のノリや発言したときの場の雰囲気みたいなものも同時に伝えようとする配慮がないので、番組リスナーじゃない人があれだけを見たら誤解するだろうなと思う書き起こしになっていることが多い。

とはいえ悪いのは、引用したように「悪口」をネタにする覚悟とか、笑いに変える技量も十分ではなかったにもかかわらず「悪口」をネタにした山里であることは言うまでもないし、その悪口が外野(ネット民)が食いつきやすい品川に対するものだったのも大きい。のだが・・・

原稿執筆に対する報酬は売上の○%ということで、正直(そこそこ売れれば)魅力的な数字ではあるものの。これって要するに成功報酬で、もし仮に1冊も売れなかった場合、書いた人の報酬はゼロ。これの何がいけないのかと言うと、電子書籍企画側にとってのリスクが低すぎることだ。

もし私が執筆依頼を受けたとしたら、原稿内容のチェックとか、その後の打合せといった作業が必要になってくるとは思うのだけども、リスクが少ない分、商売に真剣みを感じない。リスクが少ないから私のようなフツーのオッサンに声をかけてきたのかもしれないけれども

November 19, 2011

それで思い出したのが、かつてヒストリーチャンネルで放送していた「アメリカ人は何を食べてきたか」という番組だ。・・・この番組はスナックだけじゃなくて、ピザ、液体調味料、缶詰、ホットドッグ、アイスクリーム、炭酸飲料水、クッキー、シリアル(ケロッグ博士の非常に興味深い話は「ラーメンと愛国」の中でも触れられている)など徹頭徹尾「大量生産食品」を取り上げている。
・・・
つまり、インスタントラーメンは「日本人は何を食べてきたか?」ということなのだ。しかし、このような大量生産のおもしろさだけだったら「ラーメンと愛国」はこの番組や、前述の「クルマはかくして作られる」のラーメン版というだけだろう。しかし話はその先へ進む。大量生産の裏側にある思惑についてだ。それは戦後国内需要だけではさばききれなくなった、アメリカの小麦生産にある。アメリカは昔から、そしていまでも政治に対する農家の力がとても大きい。戦後の日本の食糧難に対する「援助」の形をとって、アメリカの小麦がいかに日本の食卓を侵略してきたかが書かれている。その使い道のひとつとしてラーメンが普及したのではないか、と論じている。

・・・

このアメリカの農家の圧力に関して思い出したのが「雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史」という本だ。この本もちょう面白い!(下巻もある)これによると、小麦だけでなく、コーンもまた大量の消費先を探していた。

あの手この手でコーンの消費を促そうと、コーンからいろいろなものを作り出してきたが、そのひとつがバーボンやコーン・ウィスキーなどのお酒だという。19世紀前半当時のアメリカ国民一人当たりウィスキー消費量を見ると、全アメリカ国民(赤ちゃんなんかも含む)が毎日50CCのウィスキーを飲んでいたことになるという!なんと会社でも11時に「the elevenses」と称して会社からウイスキーが支給されていたという。この反動が、禁酒法時代を迎える原因になったとか。

で、その後19世紀末にポップコーンが生まれ、戦後に掛けて大流行。「アメリカ人は何を食べてきたか」でもその様子が描かれている。1945年、アメリカ産トウモロコシの半数近くがポップコーン製造にまわされたという。

その後1960年代に、トウモロコシ農家にとっての福音「コーンシロップ」が発明される。いまやあらゆる清涼飲料水に含まれ、アメリカのあのスーパーサイズなコカコーラなどは、コーンの消費を高める戦略の一環だとか。おもしろいのは、このコーンシロップを効率的に作り出す酵素を発見したのは日本人だったそうで、渡辺千賀さんは「その後のアメリカ人の肥満ぶりをみれば、どんな戦争を仕掛けるよりこの酵素発見がアメリカにダメージを与えたかも」とおっしゃっていて、なるほどと思った。

「住宅都市整理公団」別棟 : 大量生産の快楽と、それが行き着く「信仰」~「ラーメンと愛国」がちょうおもしろい!

1.シリアル
2.ピザ
3.ホットドッグ
4.アイスクリーム
5.炭酸飲料
6.スナック
7.クッキー
8.バーベキュー
9.液体調味料
10.缶詰
11.祝祭日のごちそう

November 18, 2011

楽天レシピはクックパッドを抜けなかった。その理由を考えていくと、「人間の動機づけとは何か?」という深い問いにつながっているのではないかと思いました。
・・・
報酬が金銭的インセンティブに変わると、「たのしみ」でしていた作業は「報酬をもらうため」という別の動機づけに置き換えられてしまい、とたんに「たのしくなくなる」のです。

・・・楽天レシピのサイトを見てみると、「レシピ投稿」ではポイント獲得を目的としているように見える料理の手順が一つしかないレシピ、また「“つくったよ”レポート」でも二重投稿に近いレポートなどが散見されます。そう感じられるのは全てではありませんが、少なからずそう感じられる部分に出会えば出会うほど、せっかく「たのしみ」で投稿した人が、「ああ、ポイント獲得の人たちか」と残念に思いサイトを離れていくことになり、残った人たちはポイント獲得に動機づけられている人たちが多くなるといったループが金銭的インセンティブに基づくコミュニティーを強化していきます。

短期的に見て外発的インセンティブが効果的なのは楽天レシピのオープン後の集客力を見れば明らかです。しかし、また長期的に見れば外発的インセンティブが大きな効果を生まないことも明らかになってしまったのではないでしょうか。

こうした意図に反する結果はCGMサイトに限らず、あらゆる事例に見られます。会員獲得など短期間で効果を上げるべきものならばOKかもしれませんが、長期的に顧客やユーザーとエンゲージメントを築くべきビジネスは、この罠に陥らないように気を付けなければなりません。

November 17, 2011

「ステキ」は主観でございます。「感じる」のも主観でございます。「ステキ、感じる」に「客観的な」は存在しないのでございます。

世の中の「ステキ、感じる」の感性はすべて「主観」でございます。「誰れにでも無条件にステキ」と思われ、絶対「感じる」と濡れさせる男は存在しません。

金持ちだ、色男だはその男性自身にとっては「誇り」であっても相手の女性にしてみれば「損徳」の対象となっても必ずしも「ステキ、感じる」に直結することはないのであります。

であっても姫君がステキ、感じる、と言うのは「打算」からでございます。

November 16, 2011
この社は子供達に実際に番組を作ってもらうという企画をしたんですね。水族館に取材に行って、それを番組にしたんです。その水族館にいる魚の数をちゃんと職員の人に確認しないで『この水族館には魚が何万匹います』ってナレーションを入れようとしていたんです。『それっておかしいでしょ』って放送局の人が指摘したら、その子供は『テレビなんだから、どうだっていいじゃん!』と答えた。その局の人は、非常にショックを受けたということでした。今のテレビが、『子供たちのみならず社会全体からそういう風に見られているのではないか』と思ったということです。
November 10, 2011

無断駐車は10万円。それでも駐車したらどうなるか

罰金10万円は高すぎる。駐車場オーナー側から請求されたら、素直に払わなくてはいけないのか。

月極駐車場で見かける「無断駐車は罰金10万円もらいうけます」といった警告文。たしかに無断駐車はいけないが、罰金10万円は高すぎる。駐車場オーナー側から請求されたら、素直に払わなくてはいけないのか。

まず罰金は刑事罰の一種であり、個人が勝手に額を決めて徴収するものではないことに注意したい。駐車違反の反則金(行政罰に科せられる過料)だとしても同じだ。そもそも月極駐車場は私有地で、道路交通法は適用外。無断駐車しても駐車違反にならず、反則金は発生しない。月極駐車場への無断駐車に、罰金や反則金を持ちだすこと自体が筋違いといえる。

無断駐車のトラブルは、基本的に民事の領域。勝手に車をとめたことで、オーナー側が無断駐車した人にお金を請求する権利(債権)が発生するかどうかが問題になる。

最初に考えたいのは、無断駐車時の支払いについて契約があったかどうかだ。長谷川裕雅弁護士は次のように解説する。

「契約は原則的に当事者間で申し込みと承諾があってはじめて成立します。契約として考えるには、駐車料金10万円として、オーナー側が看板で条件を明示して申し込んだと考える必要があるが、駐車した側の承諾はない。契約が成立したとみなすのは難しいでしょう」

ただし、契約には意思実現という特殊な形態もある。意思実現とは「申込者の意思表示又は取引上の慣習により承諾の通知を必要としない場合」(民法526条2項)も契約は成立するという考え方。

たとえば、ホテルに手紙による予約の申し込みがあって部屋を確保したら、その時点でホテルと予約者の間で契約が成立する。これに従えば、無断駐車の場合も、駐車した時点で10万円支払うという契約が成立したと主張できるのではないか。

しかし、「駐車したことをもって意思実現により契約が成立したとみなすことは困難」(長谷川弁護士)。やはり契約は不成立で、「事前に看板に書いてあるのだから払え」というオーナー側の論理は通用しないようだ。

では1円も払わずに済むのかというと、それほど甘くはない。無断駐車で不当に得た利益があれば返還の義務があるし(民法703条)、不法行為でオーナー側に損失を与えれば損害を賠償する責任を負う(民法709条)。問題は、その金額だ。

「月極駐車場への無断駐車なら、勝手に駐車した人が得た不当利益は近隣の時間貸し駐車場の駐車代金が目安になります。数時間とめただけなら、せいぜい数千円にも満たないでしょう。一般的には、実際の駐車料金程度しか損害賠償は認められません。万単位の請求は困難です。もっとも、無断駐車が一定時間継続した場合に、駐車場の所有者が駐車車両を撤去する必要も出てくるでしょう。撤去費用は所有者から損害賠償として請求される可能性があります」(長谷川弁護士)

看板の不当な文言通りに支払う必要はない。ただ、見つからなければタダ、見つかっても本来払うべき代金を払うだけで済むなら、無断駐車のやり得になるのではないだろうか。

「アメリカでは懲罰的な損害賠償額が認められています。しかし日本の司法では、実質的に損害を受けた分しか賠償が認められない。金額に表れない精神的ダメージを慰謝料として請求することもできますが、額は微々たるもの。たしかにこれではやり得を助長する面があるのかもしれません」(長谷川弁護士)

やり得を防ぎにくい司法制度のもとでは、駐車場オーナーが威嚇的に罰金を設定する気持ちも理解できる。言うまでもないが、最善は無断駐車しないことである。損得にかかわらず、ドライバーには高いモラルを求めたいところだ。

October 29, 2011

最後に、気になった点を。

応募書類には、Artist Statementという欄がある。これは作品の制作意図、あるいは作品に対する自分の思いを書くスペースだ。日本語で書いていいことになっているので、語学的ハンディはないにもかかわらず、日本人応募者は概して内容が貧弱、文章は稚拙。(例外はあるので、あくまでも一般論)。中には何も書いてない人もいる。

日本人以外が全員すばらしい文章で説明してくれているわけではないが、少なくてもまともで制作意図はわかる。中にはスペースをはみ出している人も(笑)。

日本の美術学校では、この種のことは重要でないされているのだろうか。いや、もしかしたらそれはもっと違う種類の問題なのかもしれない。でも制作意図を他人に説明するのは、美術家としてやっていくなら、非常に重要だ。プロジェクトを立ち上げたり、グラントに応募するときにかかせない、という実際的な側面もあるが、何よりも 自分で自分の作品を説明できなくてどうするのよ!

October 24, 2011

【回答】

 男性に対する期待値が異様に高いため、自縄自爆で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。

 男性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「打てば崩れそうで頼りないからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。

 「自分を楽しませられるよう、会話をリードすべきだ!」「頼りがいがあって、ただ一方的に自分を守ってくれる人であるべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の異性に嫌悪感を抱かれているのでしょう。

 けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。

 かつての「日本男児」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を得ることといわば交換に、女性を庇護していたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人君子は、この世にいません。

 ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の女性は、女らしいおしとやかさも、かれんさもないから好きじゃない」とスネている男性に対して、あなたはやさしく、ないしは女らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。

 「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。

 「頼りがいのある男性に出会えないのは、自分の性格ゆえでは?」と、視線を180度転回してはいかがでしょうか。

■回答者・小池龍之介

October 20, 2011

「ピッチャーは信用できん」 と言った落合さんじゃったが、それでは踏み込まなかったか?というとそうじゃないんよ。思いっきり踏み込んだ。落合さんは自分が強打者である事が分かっていた。そしてバッテリーが強打者をどう扱うかも十分理解していたんよ。

一般的に強打者であればあるほど体に近い所、つまりインサイドを突かれる。「いいバッターに内角は怖いでしょう?」という人もいると思うけど、強打者を安全な外角だけで討ち取れたら苦労はないのよ。全ての球種、コースを使って勝負しないと、バース、落合クラスはまず討ち取れない。もちろんインサイドにストライクは絶対ない。インサイドの体ぎりぎりのボール球。胸元で体を起こし、足元に投げて下半身を動かす・・・思いつく限り相手の嫌がる事をやるわけよ。それでようやく討ち取れるかどうか?
 
厳しい攻めをされるのは強打者の宿命・・・。落合さんには分かっていた。そしてそう扱われる事に誇りを持っていたんじゃないかと思われる節すらあった。

厳しく攻められれば当然デッドボールも多くなる。じゃが、落合さんはこのきわどい球を避けるのがまた上手いのよ。体も強かった。いわゆる「アンコ型」だったけど、筋肉が凄かった。練習で鍛え上げられた、いい体じゃったなぁ。努力なしではあんなにならないよ。
 
落合さんの筋肉に感心したワシじゃったが、それ以上に感心したのがその態度じゃった。内側を攻めればやっぱりデッドボールが多くなる。わざとじゃないけど仕方ない。バッターボックスで落合さんによく言われたよ。

「達川。首から下ならどんなに体に近くても、ぶつけても文句は言わん。でもな、首から上は止めてくれ。オレにも生活があるからなぁ」

実際、落合さんはデッドボールを受けても怒った事はなかった。外国人選手が時々やるようなピッチャーを恫喝するような態度も一度も無い。いつもと変わらず、しれーっと1塁に歩いていった。
 
その後姿をいつもワシは鳥肌の立つ思いで見送った。

ワシの鳥肌の理由?硬式のボールに触れた人は分かると思う。あれはまるで石よ。それが140キロを越すスピードで飛んでくる。オーバーかも知れんけど、デッドボールとは常に死と向かい合わせにあるんよね。

凄まじいまでのインサイド攻め。結果、デッドボールを受けた選手が、何事も無かったように静かに1塁に歩いて行く・・・。

「この人は死ぬ覚悟で打席に立っている。それが4番の宿命と腹を括っている」

落合博満の後姿。その背中に当時のワシは4番の責任感とプライドを見ていた。
 
これがワシの鳥肌の理由なんよ。こんな選手が断じて「自分勝手」であるはずが無いじゃろう。